text


真夜中の訪問者


 夜闇に満ちた自室のベッドで寝返りを打つ。それは睡眠中に行われる無意識の動作であるが、姿勢変換の途中でふいに覚醒の扉がうっすらと開き始めたのにドイツは気づいた。側臥位になったところで、前方に伸ばした左腕が何かに触れた。それは、寝台の上にはないはずのもの――しかし、同時によく知っている感触でもあった。
 どうやらいつものあれらしい。
 このまま睡魔の誘いに身を委ねても特に問題なさそうだ、とドイツは甘い判断を下したい気分だったが、そこはやはり彼というべきか、一瞬後には定型どおりの反応を示した。
「あー、もう、イタリア、またか……ん?」
 シーツのひとつでも剥いでやろうと、彼は手探りで隣にできているであろう盛り上がりの位置と向きを特定したところで、違和感を覚えた。手の平の触覚が、いつもと違う感覚を伝えてくる。少しざらついた感触。およそ人肌ではない。
 ということは、自分の隣に出現したこの丘は、イタリアではあり得ない。イタリアがベッドで裸でないなんて! これはアイデンティティに関わりかねない問題だ。あの青年が着衣のままベッドに入り込む可能性など、空から降ってきた隕石に当たって死ぬ確率よりも低い。
 と、天変地異まで引き合いに出したところで、ドイツははたと考えた。
 そうだとすれば、いま隣にいる、少なくともシャツくらいは着ているであろうこの人物はいったい……
「誰だ!?」
 彼は鋭い一声とともに、つい数秒前まで睡眠と覚醒の狭間を漂っていたとは思えないスピードと力で、敵(仮)を鎮圧した。具体的に言うなら、相手を腹臥位にして右腕を後ろに取り、関節を極めた。簡単に逃れられないよう、背中に体重をかけておくのも忘れない。相手は呼吸のパターンを崩し、ひゅうと喉を鳴らした。
「―――っぃ!」
「何者だ?」
 ドイツは冷静に尋ねた。もちろん、その間も力は一定の強さを保っている。目はようやく闇に慣れてきたが、対象の輪郭が判然とするほどではない。と、そのとき、雲に隠れていたらしい月影がふいに窓から注ぎ、桿体の働きを助けた――相手の後頭部の形がわかるくらいには。瞳に映じたそれに既視感を覚えた瞬間、
「ちょっ……痛いって、痛い、これまじ痛ぇよ! 放せっ、この馬鹿力がぁぁぁぁ!!」
 視覚ではなく聴覚によって侵入者の正体が判明した。
「……プロイセン?」
 ドイツは疑問符を浮かべたものの、すでに力は抜いていた。このやかましい声を聞き違えるわけがない。
 相手はただちに彼の手から右手を開放させると、うつ伏せのまま上半身だけをひねって、背中に乗っかっている彼をにらみつけるように見上げてきた。
「やはりおまえか」
 ドイツがため息をつくと、プロイセンは人体構造の許す限り首を後ろに向けたままの体勢で言った。
「よお。寝ぼけたにしちゃ元気だな。痛かったぞ。っつーかまずは降りろ。おまえ重いんだよ」
「あ、ああ……それは悪かった。しかし、何をやってるんだ、ひとの寝床で?」
 ドイツが膝を退けると、プロイセンは背中をさすりながら上体を起こし、マットレスの上で胡坐をかいた。まるで彼のほうがこの場所の主であるようだ。彼は長袖のシャツとスウェットという部屋着姿で、短い金髪は少し寝癖がついて跳ねていた。
「何って、見ての通りじゃん」
「見てわからないから聞いているんだろうが」
 ひとの家のベッドに寝巻きスタイルで潜り込み、あまつさえ寝癖までつけているというのはどういった了見だというのか。これがイタリアならきっといつものことで済ませているところだろうが(いや、イタリアが着衣のままベッドに潜っていたとしたら、夜間診療所の扉を叩くことを考えなければいけないかもしれないが)。
 まさかうちにまでイタリアが感染しつつあるのか?
 さすがにそれはないだろうと思いつつ、ドイツは相手を観察するようにじっとりと見た。特に前髪から横髪にかけてを。……例の《くるん》は見当たらない。どうやら大丈夫そうだ。しかし、ならばなぜこの男はあいつみたいなことをしているのだろうか。正直、プロイセンがやってもうっとうしいだけで、なんらプラスの評価は与えられないというのに。
「で、何の用だ」
 ドイツは眉間に寄せた皺を緩和するように人差し指を当てながら尋ねた。すると、プロイセンはいとも簡単に答えた。
「気にするな。おまえに用事はない」
 ドイツは自分のこめかみに、ピキ、と青筋が浮く音が聞こえた気がした。
「ではなぜ俺の家にいる? というか、来るだけならともかくなぜベッドに潜り込む? イタリアじゃあるま……」
 言いかけたところで、ドイツは声帯と舌と口唇の動きを止めた。しかし、時すでに遅し。目の前には、プロイセンの楽しそうな、それでいてちょっと悔しそうなアンビバレントな表情がある。
「あー、おまえらやっぱりそういうことしてんだ? 羨ましいやつだなあ、まったく!」
 ぼやきながら、プロイセンは手首のスナップを利かせてぺちぺちとドイツの肩を手の平で叩いた。痛くはないがうっとうしいので、ドイツは相手の手首をつかんでその動きを止めた。プロイセンはまだ叩く動作をやめない。
「勘繰るな、あいつが勝手に――」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ。俺はそれほど野暮じゃないからな。どうせ俺なんてお邪魔虫なんだろー。自分ばっかいい思いしやがってー」
「人の話を勝手に遮っておいて何を勝手に納得している。そして拗ねている。あ、そのしゃべり方気持ち悪いからやめたほうがいいぞ。……だいたい、そういうこととはどういうことを指しているのかわからないんだが」
「聞きたいのか? おまえってやっぱむっつりだよな」
 どこからどうやったらそんな結論を導き出せるのか皆目見当もつかない思考回路を見せつけつつ、プロイセンはひとり納得したようにうんうんとうなずいている。
「いや、いい。具体的な内容はわからないが、おまえの妄想であることは想像に難くないからな」
 ドイツは額に手を当てて、二度目の大きなため息をついた。


夜間騒音対策なし

top