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独の飼っている犬たちが登場します。名前はwikiを参考にしました。





お父さんとお母さん



 二日酔いの朝、ドイツ宅のリビングのソファで目を覚ましたプロイセンは、二時間が経過しても依然として起き上がる気配がなかった。ドイツが掛けてくれたかわいらしいひよこ柄のブランケットから半分ほど覗く顔は見事に蒼白で、眉間には深い皺が刻まれていた。閑静な住宅街だというのに、まるで下手くそなブラスバンドの演奏会のただなかにいる気分だ。頭の中で甲高い音が飛び交っている気がする。さすがに天井が回転するまではいっていないが。しかし首を傾け窓のほうに顔を向けると、透明なガラス越しに注ぐ朝日が清々しすぎて羞明を覚える。まぶたの裏でちかちかと赤い点滅を感じた彼は、パステルカラーのブランケットを頭のてっぺんまで引き上げて中にこもろうとした。
 が、目の辺りまで引っ張ったところで軽い抵抗があった。なんだよ、とまぶたが腫れぼったくなりいつもより一層柄の悪い目つきでそちらを見た。すると、そこにはブランケットの端をくわえてつぶらな瞳を向ける愛犬の姿が。
 プロイセンはもぞりと腕を伸ばすと、ブラッキーの頭に手を置いて緩慢に撫でた。
「う〜……ごめんなー、お父さん昨日おじちゃんたちと一緒に飲んできてうっかり二日酔いだからさ、今日はお母さんに遊んでもらえ。……ん? 今日は、じゃなくて、今日も、だって? ああ、そうだな、お父さんおうち別だからな。たまにしか会ってやれねえもんな、悪いお父さんでごめんな」
 勝手な配役を用いて事の成り行きを説明するプロイセン。が、ブラッキーは理解するはずもなく、ソファに前足を掛けてプロイセンの顔に鼻を近づけ、おねだりをしてくる。犬の濡れた鼻先の感触から顔をそむけつつ、彼は陽光のまぶしさに眉をしかめながら不明瞭な発音で答えた。
「わかったわかった、そんなせがまなくても帰る前にはちゃんと散歩行ってやるからさ、午前中は休ませてくれ」
 そう言って改めてブランケットをかぶろうとする。しかしブラッキーが布の端をくわえてそれを阻む。
「ダーメ、ピヨちゃん取るんじゃない。これはお父さんの。いや、正確にはお母さんのだけど、いまはお父さんが使ってるの」
 寝転んだままプロイセンがブランケットを引っ張ると、ブラッキーはお父さん遊んでとばかりにますます歯を食いしばった。
「こら、ダメだって。離しなさい」
 ブラッキーの口に指を突っ込んで顎を下げさせようとするが、犬のほうもむきになってますます言うことを聞かない。まあ、躾は(ドイツが)きっちりしてあるので、うなったり食いついたりはしてこないのだが。
 いつものコンディションならここで相手をしてやるところだが、生憎今日は飲み過ぎの一夜を明かした朝、起き上がるのも億劫なくらいだ。幸いなことに、よく教育されたブラッキーはけっして吼えようとはしないので、頭痛の増悪を心配する必要はなかった。
 応じてくれないプロイセンになんだか寂しそうな目を向けていたブラッキーだったが、ふいに耳をぴくりと動かしたかと思うと、おもむろに回れ右をした。数秒遅れてプロイセンがそちらに視線をやったのと同時に、部屋の扉が開かれた。
 次の瞬間には、ブラッキーはソファのそばを離れてドアのほうへ駆けていった――大好きな主のもとへ。
「いい子だ。これ、持っていってやってくれ」
 部屋に入ったドイツは、携えていた炭酸水のペットボトルをブラッキーに渡すと、プロイセンのほうを指し示した。
「起きたようだな」
「おー……」
 特に呆れた様子もなくいつものむっつりした調子で声を掛けてくるドイツに、プロイセンはソファに沈んだまま不景気な声音で返事をした。ブラッキーが口にくわえて運んできたペットボトルを受け取りながら、彼はドイツにちらりと視線をやった。と、その服装にちょっと驚いたように目をしばたたかせた。
「おまえまだそのエプロン使ってんのか」
「まだ使えるからな」
「そうかそうか、気に入ってんのか」
「まさか。ただ、まだ使用できるものをおいそれと捨てるような真似はしたくないだけだ。資源が無駄になる」
 ドイツが身に着けているエプロンは、ピンク地にウサギのイラストの総プリントという恐ろしくかわいいものだった。およそ体格のいい長身の成人男子が着用を許される代物ではない。実際そのような人物が使用することを想定してデザインされてはいないようで、エプロンに包まれた彼の上半身は実に窮屈そうだった。
「あーあ。おまえみたいなムキムキが着たら、ウサちゃんの顔が伸びちまうなあ、かわいそうに」
「だったらもう少しまともなものを寄越してくれ。せめてサイズくらい合わせるとか」
 実はこのエプロン、プロイセンがドイツに贈った品である。といっても、なにも本気でプレゼントしたわけではなく、以前些細なことで喧嘩したとき、少しばかり意地の悪さを発揮したプロイセンが嫌がらせとして婦人服売り場で買ってきた商品である。渡されたドイツは当然のように困惑していたが、プロイセンがしおらしい態度で「仲直りのしるしに」なんて言ったものだから、付き返すことも捨てることもできず、現在まで不本意な愛用を続ける羽目になってしまった。
 なお、喧嘩の原因はまさしく犬も食わないレベルのものだった。というのは、プロイセンの構ってオーラがあまりにうっとうしかったのでドイツがちょっと無視をした――ただそれだけのことである。なんとなくないがしろにされた気分になったプロイセンは、拗ねた勢いで三日ほど無断で行方をくらました(三日であっさり戻ってきたのは生来の飽きっぽさがなせる業かもしれない)。その期間にデパートの衣料品売り場を物色し例のエプロンを購入し、それを抱えてドイツの家を訪れた。玄関先で彼の姿を目の当たりにしたドイツは、いままでどこへ言っていたんだ、子供っぽいにもほどがある、無責任だ、いい加減にしてくれ、などなど、怒りとともにひと通りの説教を一気に垂れたあと――がっくりとその場に膝を着いてうなだれた。そして一言、弱々しい声でなかば独り言のように呟いた。なんでいなくなったんだ、と。よくよく見下ろせば、彼の目の下にはうっすらと隈があり、憔悴した様子だった。
 その姿に彼がまだ小さくか弱かった頃の幻影が重なり、プロイセンはごめんとしか言えなかった。実際、自分の迂闊な行動を深く反省した。ドイツが潜在的に抱いている恐怖を知らないではなかったのに。
 ……そのような成り行きの結果プロイセンの手からドイツへと渡ったのが、ウサギ柄のピンクのエプロンである。
 数年前の出来事であるが、妙に懐かしい心地でプロイセンは回想した。あのたま〜に見せるかわいげがたまんねえんだよな、なんて不謹慎なことを考えながら。
 ドイツは、思い切り表情に出してにやけるプロイセンを気味悪そうに眺めながら尋ねた(まさかそんな思い出を掘り返しているとは想像していない)。
「二日酔いはどうだ?」
「頭痛はそこまでひどくねえが……なんか胸焼けする」
「吐きそうか?」
「いや、それは平気。う〜、起き上がるとちとふらつく感じがするな」
 長らくソファに張り付いていたプロイセンだったが、水を飲むため、腕を突いて上半身を起こした。そして、背もたれに体重を預けて重たい息を吐く。姿勢変換で起きた眩暈に耐えるように。
「ゆうべはちゃんとここまで歩いて来れたのにな」
 昨晩の身内の集まりには当然ドイツも参加した。ふたりともかなりの瓶を開けたものの、岐路の足取りは平然としていた。実際、ドイツは今朝何の問題もなく覚醒したのだが……。
「飲んだすぐあとはいいんだけど、一晩寝て酔いが醒めるとだめなんだよなー。うー、だりぃ……」
 プロイセンのほうは典型的な二日酔いだった。
「だからといって迎え酒はいかんぞ」
「わかってるって」
 起き抜けで粘つく口内を炭酸水で潤したあと、プロイセンはソファにぐてっと身を預けたまま、隣に立つドイツの顔へと視線を上げた。
「ってか、なんでおまえそんなピンピンしてんだよ。おまえのがガンガン飲んでたじゃん」
「いや、俺は基本的にビールだったから。そっちこそビールのあと、ウォトカだのアクアビットだの強い酒をショットグラスで飲みまくってたじゃないか。多分総アルコール量だったら俺のほうがずっと控えめだと思うぞ」
 責めるふうでもなく呆れながら肩をすくめるドイツ。プロイセンはふいっと目線を逸らしつつぼそぼそと小声で言った。
「蒸留酒はな……たまに飲むとうまいんだよ、キツくて。うん、あくまでたまにはな、たまには。日常的に飲んでたら肝臓と脳細胞が死ぬ」
 だからあいつ、頭弱くなっちまったんだろうよ――という罵詈は呑み込んだ。くそ、思い出したくもないのに勝手にひとの頭の中に登場してくるんじゃねえよ、と理不尽な文句を胸中で垂らしながら。脳裏によぎったのは、自分にショットの飲み方を教えた青年の、陽気に酔った、しかし性質の悪い笑顔だった。彼に仕込まれた悪習――だとプロイセンは考えている――がいまだに抜けない自分をちょっぴり呪わしく思う。
 が、ドイツにそれを気取られるのは避けたかったので、プロイセンはごまかすように少しオーバーな動作で再びぐったりとソファに寝転んだ。
「そんなわけでかわいい子供たちには悪いが、お父さん今日具合悪いから、世話はおまえに任せるわ、お母さん」
 頭の先にあるドイツの太股を軽く叩くプロイセン。
「誰がお父さんでお母さんだ。そのわけのわからない呼称はやめてくれ。ものすごく気色悪い。俺の犬たちに変な教育をしないでくれ。覚えてしまったらどうするんだ」
「いいじゃん、こいつらからしたらきっとそんなふうに見えてるって」
「いや、それは人間の勝手な解釈だろう」
「そんなことないだろ。なあブラッキー?」
 問われたブラッキーは、返事のつもりなのか、はたまたふたりで会話をしていたプロイセンとドイツが自分に注意を向けてくれたことが嬉しいのか、ぱたぱたと尻尾を振った。と、おもむろに体の向きを変えると、プロイセンのかぶるブランケットの足元に頭を突っ込んできた。
「駄目だ、ひとの靴下を噛むな。離すんだ」
 プロイセンが何か言う前に、状況を察したらしいドイツが膝を曲げて屈み、ブランケットをめくってブラッキーを制した。眉間には皺が寄っている。
「さすが躾にはうるさいなおまえは。お母さん怖くて大変だなあ、ブラッキー」
 軽口を叩くプロイセンの足元で、ドイツは深刻な顔つきでブラッキーに語りかけた。
「病気になったらどうするんだ」
「ひとを病原菌みたいに言うんじゃねぇぇぇ!」
 プロイセンの文句を無視し、ドイツは続けた。
「まあゆうべ風呂に入らず、着替えもしないでそのまま寝た人間の足がにおうのはわかるが」
「ひとの足をさも臭そうに言うんじゃねえよ。そんなに臭くないだろ、なあ?」
 プロイセンは右肘を突いて体を捻ると、自ら靴下を脱いでブラッキーの顔に近づけた。
「嗅がせるんじゃない」
 ドイツが注意をするが、プロイセンは聞かない。ブラッキーは彼の使用済み靴下をくんくんと点検するような慎重さで嗅いだ。
「ほら、大丈夫だっつってるじゃん。お父さんいいにおいだよなー、ブラッキー?」
 プロイセンの手から靴下を回収しながら、ドイツはやれやれと頭を緩く左右に振った。
「犬の好むにおいと人間の好むにおいは違うぞ。酔いが醒めたら風呂に入ってきたらどうだ。着替えには不自由しないだろ」
 勝手にひとの家の箪笥やクローゼットに下着からスーツ、コートに至るまで揃えているのだから。
 ドイツが言外にちくりと刺すが、プロイセンは親指を立てると、
「おう。俺って用意がいいからな」
 得意げにそう言った。ドイツは文句を言うでもなく、ただため息をひとつ落とすと、靴下を諦めたブラッキーの頭を撫でてやった。


かまって、お父さん

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