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食事のマナー


 欧州での会議が終わった夜、プロイセンはドイツの熱が夜中にぶり返した場合を考えて、と理由をつけて彼の家にもう一泊した。ドイツは彼がそんなことを言い出すのではないかと予見していたようで、特に反論もせずあっさりと許可を出した。なので、ドイツをどう説得しようかと策を練っていたプロイセンは拍子抜けし、ちょっとおもしろくなかったが、結局はいそいそと泊まっていったのだった。
 夜が明けてドイツが起き出すと、台所にはプロイセンが立っていた。昨晩、朝食は俺につくらせろ、と騒がれたので、これも許可してやった。もっとも、泊めた時点で家の中のものはたいてい好きに動かすとわかっていたので、許可の意味はあまりない。火の元にさえ注意してくれればいい、と言ってあるだけだ。
 プロイセンはドイツのエプロンを勝手につけ、皿を並べていた。そして、朝の挨拶を交わすと、
「飯できたぞー。席つけ」
「ああ、すまん」
 鍋敷きをテーブルにおいて深鍋をコンロから移し、しゃらん、と蓋を開けて見せた。むわっと立ち込める湯気とともに、磯のにおいが広がった。
「地中海風シーフードリゾットだ。イタリアの太陽を思い浮かべながらつくったんだぜ。シーフードなんだけど、やっぱりトマトは入れてみた。だって、イタリアっつったらトマトだろ。あいつトマト好きじゃん? だからあいつがトマト食ってる姿を想像してだな」
「……。調理過程の詳細はあまり聞きたくないな」
 自慢げに説明を繰り出そうとするプロイセンを、ドイツが制する。食事の前に長広舌を揮われては、食欲が減退しそうだ。ドイツは勝手に玉じゃくしで皿にリゾットをよそった。満遍なく赤いのは、すべてトマトの影響なのだろうか。それとも何か別の香辛料でも入っているのだろうか。とにかく赤い。赤すぎる。なお、トマトのにおいはあまりせず、海産物の香りがメインである。いったいどのような食材、調味料をどのような配分でどのような時間的順序で投入したのだろう。……癖で、考え出すと小数点第1位単位まで気になって仕方がなかったが、これで食べるのをやめたら、食欲がないのか、体調が悪いのかとまたあれこれ心配されそうだったので、ドイツは努力してそれら気がかりな点を無視した。まあ、食べられるものからつくられたものなら、食べられるものなのだろう……多分。大雑把に考えれば気にならない。そう、気にならない。ドイツは苦労してそのように考えた。
 が、いざ口に入れようかという段になって、そのための道具がないことに気づく。
「む……スプーンがないな」
 戸棚の右の扉の下から二段目に設置してあるラックの中に、リゾット用のスプーンが収納してあるはずだ。が、取りに行こうと立ち上がろうとしたところで、プロイセンがすっと目当ての銀色を差し出してきた。
「スプーンならここにあるぜ」
「そうか」
 ドイツは受け取ろうとしたが、プロイセンはスプーンをすっと自分のほうに引き寄せて彼の手を避けた。なんのつもりだ、とドイツが首を傾げていると、プロイセンが鍋をテーブルの隅に片し、自分の皿のリゾットをスプーンで一掬いした。
「おい?」
 プロイセンの妙な行動にドイツが眉をひそめていると、相手はスプーンをドイツの口元に突きつけてきた。そして、実に気持ちの悪い一言を放った。
「はい、あ〜ん」
「……………………なんのつもりだ、プロイセン?」
 ひくり、と眉毛を動かす。が、プロイセンは愉快そうににやっと笑うだけだった。
「病気中の食事にこれは欠かせないだろ? 世界の常識だって」
「どこの世界の常識だ。少なくとも俺の住んでいる場所ではないな。だいたいもう具合は……」
「いいから黙って食えって。俺が手ずから食わせてやるっつってんだぞ?」
 ほらほら、とプロイセンはドイツの口唇をスプーンでつついた。ドイツは少々いらっとしながらも、ぼそりと返事をした。
「……了解した」
 口を開かないままそういうと、ドイツはおもむろにプロイセンの手を掴んだ。
「え、おい……?」
 ドイツの予想外の、そして予測のつかない行動にプロイセンはぽかんとした。しかし、ドイツは構わず、彼の手ごとスプーンを移動させ、そのままリゾットを食べた。
「ちょ、ちょっと……」
 うろたえるプロイセンを無視し、ドイツは彼の手を掴んだまま、自分の皿のリゾットをすくっては黙々と口に運んだ。皿が空になるまで、その動作は延々と続いた。
「見た目は少々恐ろしかったが、味はよかったな。うまいじゃないか」
 ドイツは率直な感想を述べ、味については褒めてやる。が、プロイセンは固まったまま動かない。
「どうした? 俺の世話はもういらんから、おまえも食え」
 と、手を開放してやると、プロイセンはスプーンを持ったままがたがたと腕を小刻みに震わせた。
「な、ななななな……っ!?」
 途端に彼の顔は紅潮した。リゾットの謎の赤ほどではないにしても、かなりの朱色だ。ドイツは彼の持つスプーンの先を見つめ、不思議そうに聞いた。
「なんだ?」
「な、何すんだよおまえぇ!?」
「食事を摂った」
 プロイセンはついにスプーンをテーブルに落とすと、左手で口元を覆った。そして、その下からくぐもった声で叫ぶ。
「そっ……そういう、そういうことじゃねえだろうがぁぁぁ!」
「おまえが食えといったのだろうが」
「だからそういうことじゃねえんだよ、馬鹿ヴェスト――――っ! 恥ずかしいやつ――――!! うわぁぁぁぁぁっ……」
「どうした、顔が赤いぞ。おまえまで熱か? うつしてしまったのならすまん」
 ようやく伸ばした腕を引っ込めたプロイセンだったが、代わりに今度はドイツの腕が伸びてくる。真っ赤になった彼の顔に触れようとしているらしい。彼はとっさに首を後方に引いた。ドイツの手を払いのける余裕はなかった。
「さ、触るなって!」
「すでに感染しているのならいまさらだと思うが。大丈夫か? 本格的に赤いぞ。いま体温計を持ってくる」
 と、ドイツは自室にある救急箱を取りに行くため、階段を昇っていった。ダイニングに残されたプロイセンは、テーブルに突っ伏して、
「いらねえよ! そういう問題じゃねえっつってるじゃんか!」
 と、聞く者のいない叫びを上げていた。顔が熱いのが自分でもわかったが、しばらくはどうすることもできそうになかった。


困った事態の対処法

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