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きょうだいについて


 家主であるプロイセンの背を押して強引にリビングまで移動したロシアは、椅子の背に掛けられていた膝掛け用のクォーターブランケットを無許可で借りると頭から被り、ソファの裏側で膝を抱えてちぢこまった。ブランケットは彼の上半身をどうにか半分覆っていた。
 いったい何があったんだと訝しく思っていたプロイセンだったが、大きな体を丸めて震えるロシアの姿から、おおよその見当はついた。彼がここまで恐れる事態とは――
「……またベラルーシか。いい加減観念して応えてやれよ。据え膳なんとやらって言うじゃねえか。おまえも男だろう? それに、女に恥かかせるのはよくないぞ。手のひとつも出してやれ。あんな美人が自分に超一途なんて、男冥利に尽きるってもんだろ」
 プロイセンは呆れつつも、さらりとした口調でそんなアドバイスをした。完全に他人事、我関せずの姿勢である。厳密に言えば、ベラルーシ絡みの出来事はプロイセンにとっても無視できないのだが、恒例の噛み合わない兄妹愛に端を発するロシアの一時的な家出(という名の逃亡)なら、大きな問題にはなるまい。この大男が妹から逃げ惑うのはいまにはじまったことではないのだし。が、それに巻き込まれるのは真っ平ごめんだと、プロイセンは冷たくあしらう。彼としてはこの兄妹に険悪になられると厄介なので、妹の一途な気持ちを受け止めてやれよ兄貴、といった心意気である。
 一方ロシアは赤頭巾ちゃんよろしくブランケットの端から青い顔を出しながら、とんでもないとばかりに叫んだ。
「僕ら兄妹だから! 手出すとかないから!」
「そういうことは忘れちまえ。都合よく。しがらみから解き放たれろ」
 プロイセンの無責任な発言に、ロシアが唇を尖らせる。
「きみと違って、生憎僕は身内に手を出すようは趣味はないんだ」
「なんだよ俺と違ってって。それじゃ俺が妙な前科持ちみたいに聞こえるじゃねえか」
「え? そうなんじゃないの?」
 意外そうにきょとんとするロシア。プロイセンに『妙な前科』があることを信じて疑っていないらしい。
「何をもってそんな嫌疑をかけてんだ!?」
 プロイセンが声を荒げると、ロシアが真面目な調子で説明してきた。
「ドイツくんがあんなムキムキになったのって、きみが自分好みに仕立て上げたからだってもっぱらの噂だけど……。幼少時からあれこれ仕込んだとか何とか。あ、ってことは、きみの趣味の集大成が彼ってことなのかな」
「なんだその噂は! 確かに俺はあいつを鍛えたが、その事実のどこをどう曲解すれば『手を出した』なんてことになるんだよ! 俺らはごく普通の仲だ、おまえらみたいな変態兄妹と一緒くたにすんじゃねえよ」
 弁明するプロイセンだったが、ロシアは納得がいかないのか、眉根を寄せながら指摘する。
「そんなこと言って、彼の体触りまくってるくせに」
「そりゃ触るくらいはするだろ! 身内なんだから!」
「いやでも、きみの触り方なんかすごくアレな感じだし……」
 その触り方とやらを再現しているのか、ロシアがわきわきと自分の両手を軽く開閉させる。
「ンないかがわしい手つきなんざしてねえ! 言いがかりつけると追い出すぞ」
「いやー」
「気色悪い声出すな!」
 カタツムリのように毛布の中に頭を引っ込めながら妙にかわいらしい声を上げるロシアに、プロイセンは鳥肌を立てながらヒステリックに叫び散らした。
「だいたい、俺んちに逃げてきてどうすんだよ! 立地条件わかってんのか!? ここ飛び地なんだぞ! 無自覚バカップルに挟まれてんの! そんでもって、リトアニアんちの向こうはベラルーシの家なんだぞ! おまえが本土に帰ろうと思ったらどのみちベラルーシんとこ寄ることになるじゃねえか! わかるだろ、俺んとこは避難場所向きじゃねえってことくらい! 逃げるならウラル越えてシベリアとか極東のほうへ行け! だだっ広いんだからいくらだって逃げ場はあるだろ。ただしベーリング海峡は越えるなよ、ややこしいことになりかねねえからな」
「確かに広いけど、あんな人の少ないとこ寂しいじゃない。死ぬほど寒いし」
「あったかくされたいならねーちゃんのとこ行って胸でも貸してもらえ。俺んとこより行きやすいだろ」
「姉さんとは別居しちゃったからホイホイ入り込んだらまずいんだって。その点きみの家は僕の家でもあるわけだから、堂々と上がり込めて気楽だね」
 てへ、と無邪気に笑うロシアだったが、発言内容は図々しいことこの上ない。プロイセンはこめかみに青筋を立てる勢いで声を荒げた。
「……てめえ、まさかこのまま俺んちに立てこもる気じゃねえだろな!? ぜってぇごめんだぞ! とっとと出てけ! 巻き込まれてたまるか!」
 ブランケットの端を掴み、なんとか引っぺがそうと力を込めるが、ロシアは頑として手放そうとしない。
「がむしゃらに逃げてたらいつの間にか国境越えちゃってたんだよ。……ああ、道中やたら罠が多いと思ったら、あのへん一体、ベラルーシの家だったんだ。そうか、どうりで……」
 思い当たったら改めてぞっとしたのか、ロシアは自分の二の腕をさすった。プロイセンは呆れたため息をついた。
「気づけよ、通過中に。で、どうやって本土まで帰るつもりなんだ? もっぺん妹んち通るのか?」
 プロイセンの質問に、ロシアはまさかと首を横に振った。
「陸路使わなければなんとか危険ゾーン回避で戻れると思う。ここ港あるから、いざとなったらサンクトペテルブルクまで泳いで帰るよ」
「アホか。いまは冬だぞ。ウチはまだしも、ペテルブルクは無茶だ」
「やっぱ無謀かなあ……」
 下唇を人差し指で押さえ、ロシアが呑気に呟く。子供じみた仕種は彼の背丈と体格にはなんともミスマッチで、ややもすれば滑稽だった。
「百パー無理だ。諦めろ。諦めてベラルーシんとこ行け。そんで愛を受け止めてこい」
 素っ気なく告げるプロイセンに、ロシアは一瞬困ったように眉を下げると。
「行くっていうか……来る?」
 意味ありげに呟いた。
 行く。来る。ある場所から別の場所へ移動するというひとつの行為を、異なる視点からとらえて表現する動詞。多くの言語における基本的な語彙。ロシア語になれて久しいプロイセンは、相手の言い直しが仄めかすところを察してぎょっとした。
「ちょっ……ベラルーシここまで来てんのか!?」
「そうだよ。だから焦ってるんじゃないか」
 ロシアは小さな毛布の内側に賢明に身を隠そうとますます体を縮めて試行錯誤した。プロイセンは恐怖で青ざめるのと怒りと焦燥で赤くなるのを器用にも交互に繰り返しながら、
「なんであんなヤバイの連れてくるんだよ!」
 なんてこったと頭を抱えた。そして、ラトビアあたりが目撃したら驚愕のあまり気絶しそうなほどの剣幕でロシアに突っかかる。
「ベラルーシのやつがどんだけ俺を毛嫌いしてるか知らないわけじゃないだろう!? ほかの連中がこぞって出てった中、いまだ残ってる俺に対して妙な勘繰り入れてくるんだぞ! なんか陰険にいびられるし! こないだなんかキッチンにいかにもな感じのカラフルな毒キノコ生やされたんだ! 焼いたら変なにおい充満したし!」
 彼女がいかにデンジャーであるか切々と語るプロイセンだったが、ロシアは彼の注目してほしいところにはまるで意識を向けず、素っ頓狂な着眼点から質問を繰り出した。
「おいしかった?」
「食うか! なんでちょっとドキドキしながら聞いて来るんだよ! 焼いたっつっても調理じゃねえよ! 焼却処分に決まってるだろ!」
「え〜、もったいない……」
 ロシアは人差し指の先を軽くくわえ、物ほしそうに呟いた。その動きと発言の不気味さに、プロイセンは怖気立った。
「毒キノコだっつってるだろ!」
「でもキノコだし」
「毒がつくの、毒が! そりゃおまえらきょうだいの謎の胃袋なら平気かもしれんが、俺は無理! 俺はきわめて正常な消化機能しかもってないから! わかったら異常なモノ同士末永く仲良くしててくれ! それがきっとおまえらにとっても幸せだからよ!」
 毛布ごとロシアを表に放り出そうと、プロイセンは相手の脇に腕を入れ、筋力のすべてを総動員する勢いで気合を入れた。しかし体重以上の重力でもってロシアは床にへばりついている。
「ぐぬぬぬ……この野郎、とっとと出てけってんだ」
「薄情なこと言わないでよー!」
「うぉ!?」
 ロシアは無駄のない動きで鮮やかにプロイセンの膝裏を徒手で叩くと、バランスを崩した隙に彼の腰に腕を回してしがみついた。自分より重量と腕力のある相手に引きずられたプロイセンは、尻餅をつくようにして床に倒れ込んだ。相手の重さで一瞬息が詰まったものの、このままでは形勢不利に持ち込まれると判断し、とっさに身を起こそうとした。が、ロシアも相当必死らしく、彼の腕を掴んではなさい。
「離れろ! 引っ付くな! あまつさえ関節を極めるな! 地味に痛いぞ!――いっ、いだだだだだだ!」
 いまにも泣き出しそうな弱々しい表情で何気にサブミッションを仕掛けてくるロシア。プロイセンは真に迫る悲鳴を上げた。下手に暴れたらそのまま脱臼コースにご招待されそうだ。
「おまっ、どんだけ陰湿なんだよ!」
「きみが冷たいからだよ。ちょっとは手を貸してくれたっていいじゃないか。ほら、僕らもう一蓮托生って感じだし?」
 床でくんずほぐれつもつれ合いながら、プロイセンは喚くように反論した。
「いくらなんでもそこまで突き抜けちまった覚えはない! ってか、まじで離れろこの野郎! こんなとこベラルーシに目撃されたら変な方向に誤解されかねねえだろ! ただでさえ普段から理不尽な言いがかりつけられてんのにさあ! だいたい俺は直接的にゃ関係ない赤の他人なんだから、おまえがひとりで対処すりゃいいだろーが! ってか、そうするべきだ! 理解したら勇気をもってひとりで立ち向かえ! なに、おまえならできるさロシア!」
「僕を彼女とふたりっきりにする気!? きみどんだけ鬼畜なの!?」
 と、ロシアは相手の関節を絞める力を強めた。突如走った激痛に、プロイセンは数秒呼吸を止めたあと、激しく抗議した。
「おまえが言うかそれぇぇぇ! だぁぁぁぁ! しがみつくな巻きつくな張り付くな!」
「だって怖いんだもん!」
 実に情けない声音で情けない主張をすると、ロシアはますますプロイセンの胴にしがみついた。助けを請うているつもりらしいが、どこからどう見ても格闘技の技を繰り広げているようにしか見えない。体勢的には完全に敗者のプロイセンだが、どうにか逃れようと往生際悪く床の上でもがいた。
「俺だって怖ぇよ! 枕に大量の長髪仕込まれてたときには泣くの通り越してチビるかと思ったくらいだ! いいか! おまえら変態兄妹の行き過ぎた愛に俺を巻き込むんじゃねえ! 俺は他人だ!」
「第三者の介入で事態が解決することだってあり得るよ!」
「ない! 一般的にはあり得るかもしれんが、おまえらに関して言えばそれはない! むしろこじれるだけだ!」
 互いに自己の主張をぎゃあぎゃあと喚き散らしながら、なおも足掻くプロイセンと譲らないロシア。平行線のまま不毛な拮抗状態が続くかと思われたが……。
「ん……?」
 床に座り込み、片腕をついて上半身を支えていたプロイセンは、ふいに背後から灰色の翳りが落ちてきたことに気づいた。はっとして振り返ると、真後ろにそびえる細長い何か。
 嫌な冷や汗が背筋に流れるのをごまかすように、ごくりと唾を飲み込む。
 ――ちょ、これってもしかしなくても……。
 なんともドラマチックな展開を推測し、彼は真冬のシベリアの平原に放置された柑橘類のごとく凍りついた。
 やや遅れて、彼の腰に巻きついて腹の辺りに顔を伏せていたロシアが、相手の異変を察してもぞりと首を持ち上げた。
 一秒後には、ロシアは絶句して固まっていた。
 ロシアの反応に、プロイセンはますます己の嫌な予感に確信を強めていった。
 まじで振り返りたくないんですけど、と胸中で呟きながらも、危険を察知した脳は本能的に対象を確認しようと首を後ろへ回させる。
 そして、振り返ったすぐ先には案の定、軽やかにひらめくロングスカート。なぜか屋内なのにはためいている。
「……うわぁ、いいタイミングぅ……」
 ギギ、と斜め上を見上げながら、プロイセンは慄いた声を発した。
 空調が壊れたわけでもないのに空気が急速に氷点下に突入する中、ロシアは一足先に気絶という名の逃避をしていた。


不等辺三角関係

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