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ベラが嫌な感じに普を罵っているのでご注意ください。





清純と不純のあいだ



――そんじゃ、今度の休みはおまえんとこに顔見せるぜ。楽しみにしてろよ。
――いいのか? この前もなんだかんだでこっちに来ていたが、そっちはそっちで忙しいんじゃないのか?
――俺が行きたいから行くんだよ。不服でもあるのか?
――……いや、来るのだったら歓迎する。わかった、待ってるぞ。
――おう、待ってろや。

 ……そんな他愛もない会話を交わした相手は、筋肉ムキムキのいかつい青年だっただろうか、それともまだ華奢で線の細い少年だっただろうか。あるいはそのどちらとも、自分は同じような言葉を交わしているのだろうか。
 どちらにせよ、プロイセンにはたいした問題ではなかった。どちらの《彼》もプロイセンにとってはかわいい弟分で、軽い口約束であっても守ってやりたい相手であることに違いはないのだから。
 と、自身の記憶に一時逃避したところで、彼はひとつの決意を固めた。そうだ、このままではいけない。今度遊びに行くって言ったじゃないか。あいつはいつもむっつりと迷惑そうな顔をするが、内心喜んでんだよ。照れ隠ししたって無駄だ。俺はお見通しなんだからな。
 ドイツとのちょっとしたやりとりを拡大解釈したり曲解したり都合よく捻じ曲げたりと加工しているうちに奮い立ってきたプロイセンは、難題に挑む覚悟をほんの少し固めた。
 が、現実とはたいてい残酷なものである。閉じていた目をそろそろと開くと、そこには険しさ三割り増しのベラルーシのぞっとするような美貌が待ち受けていた。彼が次の休暇を幸せな気分で満喫するためには、これを攻略しなければならないらしい。
 彼はちょっぴり泣きの入った上擦った声音で、相手を宥めるように言った。
「ど、どうどうどう……まずは心を落ち着けろベラルーシ。深呼吸深呼吸。おまえが兄さんをそれはもう愛してることはよぉくわかるぞ。俺としても、おまえら兄妹には仲良くしてほしいと思ってんだ。うん、ほんとまじで、心の底から。仲良しきょうだいって微笑ましくて俺大好きだぜー。……でもな、血のつながった兄妹なんだから、さすがに合体を迫るのはどうかと思うんだ……思うん、です、けど……お、思いませんか、ね……?」
 まくし立てるプロイセンだったが、ベラルーシの無言の圧力の前に、早くも挫けそうになる。ロシアは相変わらず、童話の中のお姫様のごとく役立たずに倒れているだけだ。対するベラルーシは、苛立ちのために徐々に背後に暗雲を立ち込めさせつつ、冷たく吐き捨てた。底冷えのするトーンとは対照的に、瞳は攻撃色を灯している。
「年端のいかない子供に手を出すような下衆に言われたくない。自分の下で純粋培養した無知でまっさらな子供に対しピ――ッを教え込んだり、ピ――ッをさせたりと、いたずらし放題だったくせに。あのイモ男も哀れだ。しかもおまえの罪状はこれだけではない。自分を疑いなく信じてくる子供に対しあろうことか――」
 淡々と、しかしアグレッシブに繰り出される妄言の数々。その内容のあまりの激しさに、プロイセンは抗議するのも忘れてしばし閉口してしまった。どこを叩けばそこまで著しい妄想が湧き出してくるというのか、彼女はあることないこと――彼に言わせればすべて『ないこと』だが――平然と吐き散らかした。あまりにも平生どおりの口調なので、思わず事実だと信じたくなるほどだ。
「きみ……ドイツくんにそんなことまで……?」
 いつの間にか起き上がっていたらしいロシアが、そそくさとプロイセンから距離を取った。何かこう、穢らわしい、おぞましいものを見るような目を向けながら。
「ちょっ……なんで俺そんなふうに思われてんの!? 俺があいつをどうこうするわけないじゃん! 勝手な思い込みでドン引きしてんじゃねえ!」
 ロシアといいベラルーシといい、どうしてドイツとの仲を異常視するのか。俺らはいたって健全だ、おまえらと一緒にすんな!――癇癪気味に叫ぶプロイセンだったが、ベラルーシは止まらない。
「あまつさえ、ピ――ッをピ――ッするという上級テクニックすら仕込み……」
「うわあ……」
「ちょっ……やめろ! 変な妄想でひとの身内汚すんじゃねぇぇぇぇ!」
 失礼極まりない兄妹に制止をかけようとするプロイセンだったが、相手はさらに上手だった。
「やつが手のつけられない変態ムッツリになったは確実におまえのせいだろう、このペド野郎」
 追い討ちをかけるベラルーシ。あまりにもあんまりな言いように一瞬詰まったあと、プロイセンはどもりながらも必至に抗弁した。
「ち、違うもん! そ、そんなんじゃないもん! 俺、あいつにいかがわしいことなんてしてねえもん! ちゃんと真面目に育てたもん! ちゃ、ちゃんと教育したはず……うん、したよ、な……?」
 過去の自分の行状と、虚偽いっぱいの彼女の言葉を照らし合わせて思い当たる節があったわけではないが――プロイセンはなんだか落ち込んできた。あまりに断定的に激しい言葉を浴びせられると、段々とわけもなく自分に非があるように思えてくる。無実の罪を自白してしまう被疑者の気持ちがわかるような気がした。
 床に四つんばいになり、うなだれながら盛大にへこむプロイセンの横では、ベラルーシが威圧感とピンクな空気を織り交ぜたシュールな雰囲気をつくり出していた。彼女は爪が食い込むほどの強さでロシアの両肩を掴むと、恍惚とも呪詛ともつかない不思議な声で詰め寄った。
「でも安心してください兄さん。あのイモのような駄目な見本があるからこそ、私たちの間に過ちは起こりえません」
 みし! という不穏な音を錯聴しそうな勢いで、ベラルーシが指先の力を込める。ロシアは悲鳴を上げるかと思いきや、プロイセンのほうにギギギと首を回し、死後三日ほど放置された魚のような目でコルコルコル……と静かに呟いた。小さいが地響きにも似た迫力をもって迫るえげつない呪文にはっと我に返ったプロイセンは、大慌てで上体を起こし、いまにも危険な橋を渡りそうな困った兄妹の間に果敢にも割って入った。もっとも、言葉だけで行動は伴わなかったが(彼はこのふたりの間に身を置けるほど勇敢でもなければ命知らずでもない)。
「お、落ち着けベラルーシ! 世の中には超えちゃいけない一線ってもんがあるぞ!」
 意を決して主張したはいいが、言い終わった瞬間プロイセンは早くも後悔に見舞われた。というのも、ベラルーシが射殺さんばかりの睥睨のまなざしを彼に注いだからだ。らんらんと輝くその瞳は、ひとにらみしただけでだけで飛ぶ鳥を落とせそうだった。しかしその真横では、濁った瞳のロシアが呪わしげな無表情のままこちらに顔を固定している。
 くそ、なんてジレンマだ。どっちについても不幸にしかならない。貧乏くじにもほどがあるぜ神様よ。俺が何したって言うんだ。助けて神様。助けてフリードリヒ!
 なかば現実逃避のようにむなしくも切実な祈りを胸中で捧げながらも、プロイセンはいまこのときこの場所で自身を襲う危機へと立ち向かわざるを得なかった。でなければ、次の休暇にドイツを構えないどころか、明日の太陽だって拝めないかもしれない。彼はぐっと拳を握り締めると、半分ほど投げやりじみた調子でベラルーシに言った。
「あ、あのな、ええと……そ、その一線は越えないほうがいいぞまじで」
 ああ、俺は何を言おうとしてるんだ。迷走する自身の思考に翻弄されながらも、プロイセンはなんとか言葉を続けた。
「い、いいか、よく聞いとけ。男女の情なんて脆いもんだ。その点きょうだいはどうだ? 血の絆ってのはそう簡単には切れない深ぁいもんだ。変に一線越えちまうより、兄妹として末永くやっていったほうが愛は長続きするんじゃねえか?」
 よっしゃ、俺、いますっげーいいこと言った!
 内心でガッツポーズとともに自画自賛するプロイセン。しかし相手のリアクションは冷淡なものだった。
「自分の失敗談に基づいて言っているのか。私はおまえではないからそのような失敗はしない。おまえと一緒にするな」
 と、ベラルーシはわずかに不服そうに眉根を寄せた。プロイセンは不可解そうな面持ちで彼女に尋ねた。
「なんだよ俺の失敗談って」
「ドイツのイモ野郎に手を出したんだろう。しかも幼児のときに。若気の至りとはいえ最低だな。剥けてもいないチビに劣情を催すなど」
「違ぇぇぇぇぇぇ! 思い込みも大概にしとけよ!? そんなに俺を犯罪者にしたいのか!? ってか、なんで俺そんなに風評悪いんだまじで!?」
 どういういきさつがあってのことなのかまったくもって定かではないが、ロシアとベラルーシの脳内では、プロイセンとドイツの関係はそれはもう大変なことになっているらしい。悪評が漂っているのはもっぱらプロイセンのほうだが。
 親戚が絡むと何かと取り乱しがちな彼は、不名誉な流言蜚語に悶えながら頭を抱えぶんぶんと首を振った。そんな彼をじと目で眺めながら、ロシアは非難がましい文句を垂れた。
「ちょっとー、きみの説得さっきから全然効果ないどころかむしろ逆効果になってるじゃない。もっとがんばってよ。はあ……やっぱり脛に傷があると大変ってことなのかなあ……」
 文句をつけつつ途中から自己完結モードに入るロシア。プロイセンはこれ以上思い込みを積み重ねられてたまるかと声を張り上げた。
「俺におまえらが妄想してるような傷はない! ってか、まずは自分ががんばれこのナマケシロクマ!」
 プロイセンの言い分はもっともだったが、相手は少しも聞く耳をもたなかった。まあこの兄妹の主観によれば、彼は幼い子供を毒牙に掛けるような救いようのない男なのだから、そんな彼の言葉に耳を傾けるいわれなどないということなのかもしれないが。


清く正しく美しく?

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