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あまりに場違いな道具の登場に、ドイツを除く一同は呆気に取られ、しばし固まっていた。そんな三人をよそに、ドイツは持ってきた機械の端に巻かれたコードを解いて伸ばすと、廊下のコンセントにプラグを差し込んだ。カチ、と手元のスイッチをオンの位置に上げれば、キュイィィィィン! と鋭利な音が空間を引き裂いく。それは、歯医者が使う切削用器具のエアタービンを連想させた。 三人は揃って背中に冷たい汗が流れるのを感じた。 一方ドイツは一旦スイッチをオフにすると、回転の止まったバーの先を確認し、うんうんとひとり納得したようにうなずいた。 「ふむ……どうやら使えそうだ」 「あの、ドイツ、それは……」 オーストリアが中途半端に片腕を上げて、説明を求めるように声をかけた。心なしかちょっぴり眼鏡がずり下がっている。 「……ドリル……よね?」 デジカメを片手に持ったまま、ハンガリーがドイツの手元を指差した。彼はあっさり顎を引く。 「ああ、削岩機だ。これならさすがに破壊できるだろうと思ってな」 いとも簡単に述べると、ドイツは横四十センチほどの大きさのドリルを胸の前に構えながら、プロイセンの前に立った。見下ろされるプロイセンは、だらだらと嫌な汗が噴出すのを抑えられない。B級ホラー映画でチェーンソーを持った怪人に追い詰められる一般人はきっとこんな気分だろう。 「おいおいおいおい……おまえなに考えてんだ!? さっきより百万倍くらい凶悪な得物じゃねえかっ!」 青ざめたプロイセンが必死の形相で叫ぶものの、ドイツは自分のアイデアに何の問題を見出さないらしく。 「心配には及ばない。土木作業用ではなく、美術の彫刻用として開発されたものだから小回りが利く。小型で、より細かい作業ができる代物だ。工事用と歯科治療用の中間型だと思えばいい」 「規模が違いすぎるだろ!?」 「大丈夫だ、セラミックの加工にも使用できると説明書にある」 小さく折りたたまれた説明書を開きながら、平然と述べるドイツ。裏表印刷の紙には、図解つきで使用方法やら注意事項やら、果ては内部構造及び回路図なんてものまで掲載されている。 なぜこんなコアな機械が自宅に置いてあるのかは定かでない。工芸の趣味にでも没頭していたことがあるのか、はたまたもの珍しい機械に惹かれて購入したのか……どちらにせよ、ほとんど使ったことがないのは確かなようだ。ドイツは入念に説明書を読解している。それを眺める彼の顔は、ちょっと楽しそうですらあった。 そんな彼に、プロイセンが待ったを掛ける。 「それ、おまえが使ってみたいだけじゃないのか!? なんか試してみたくてたまらないって顔してるぞ!? なにうずうずしてんだよ、この機械信者! マニュアルオタ! サディスト!」 しかしドイツは止まらない。彼はプロイセンの脚を両方まとめて左肩に担ぐと、右手に持ったドリルを便器に近づける。 ぶわっ、とプロイセンの全身から汗がにじむ。彼はもはや恥も外聞もなく(便器にはまった状態でそんなことに構うのもおかしいが)、衝動のままに声を張り上げた。 「い、い……いやだぁぁぁぁぁ!!」 「暴れるな、体に当たったら怪我するぞ」 甲高い機械音とともに激しく回転するドリル。段々と狭まる距離。 「ちょ、いやだ、いやだってほんと! やめっ、やめろ、いやだぁぁぁぁ!!」 プロイセンは全力で拒否した。言葉だけでなく、行動も加えて。 彼は両足を交互に激しく振り、両腕でドイツの右腕を阻止した。意図せず、踵でドイツの背中を蹴りたくっている。 「おい、暴れるなと言っている。危ないだろう」 さすがのドイツも、プロイセンに渾身の抵抗を抑制するのは困難と判断したのか、一度ドリルを離した。が、それも束の間。 「オーストリア、ハンガリー。こいつを押さえててくれ。危険だ」 振り向きざま、ギャラリー二名に応援を要請した。ふたりは直ちに動いた。 「了解」 ハモりながら応答すると、オーストリアはプロイセンの腕を、ハンガリーは足をそれぞれ掴んだ。狭いトイレの中、オーストリアは横に立ってプロイセンの手首を持って上に上げさせた。ハンガリーは彼の手前に膝をつくと、両足を自分の肩に引っ掛けさせ、足底部が地面につかないようにしてしまう。彼にとってはなかなか屈辱的な体勢と言えた。見た目はもちろんのこと、重心を自力でコントロールできないのだ。 「ふわっ!? ちょ、やめろ、おまえら、なに息ぴったりなとこ見せつけてるんだよ!? やめろ、やめろよっ、放せ! 放せってば!」 プロイセンは四肢を可能な限り暴れさせて抵抗を試みた。もちろん、筋力勝負でこのふたりに負けるような彼ではないのだが―― 「暴れるのはおよしなさい。ハンガリーを蹴るつもりですか?」 「うっ……」 「プロイセン。オーストリアさん殴っちゃだめよ」 「ち、ちくしょう……」 パワー以外の要素で組み伏せられるかっこうになり、悔しさに唇を噛み締めた。 と、目尻にちょっぴり水がたまっているのを憐れに思ったのか、ハンガリーがよしよしと彼の頭を撫でてきた。 「ほら、泣かないの。男の子でしょ?」 「うううぅぅぅぅぅぅぅ……」 よっしゃ! ハンガリーの手の平の感触! 俺役得! ――とはさすがに思えないらしく、プロイセンは顔をうつむけて情けない声を漏らしはじめる。どこまでもどこまでも惨めな気持ちだった。 ハンガリーはプロイセンの髪を撫でてやりつつ、ウインクでオーストリアに合図を送った。そして、オーストリアが小声でドイツに告げる。 「いまです、おとなしくなりました。ドイツ、早く」 「わかった」 うなずくと、ドイツはドリルの先を便器の縁に当てた。 けたたましい大音量を上げながら、削られゆく陶器。 唐突に訪れた衝撃と振動に、プロイセンはびくんと首を持ち上げた。 「ああぁぁぁぁ!? ちょっ、これって不意打――」 「動くな。怪我するぞ」 「あっ、あっ、あっ……や、やっぱやめろぉぉぉぉぉ! しんど、振動がぁぁぁぁぁ……! うあっ、あぁっ……や、やめっ……」 セラミックを削るドリルの音に負けず劣らず大きな悲鳴を上げるプロイセン。やめろと喚き散らしているようだが、ドリルの激しい振動のため、声にビブラートがかかって言葉は不明瞭だった。 「ドイツ、早くしておあげなさい。聞くに堪えません」 「いまやってる」 ひとり不可抗力に盛り上がっているプロイセンとは対照的に、ドイツは冷静かつ正確に作業を進めていった。 まもなく、ドリルの音が静まった。 「……んぅっ?」 「よし! これで外れるはず……」 「うぁっ!?」 手早く作業を済ませたドイツが、便器の切断した部分をごとりと取り外す。と、突然バランスが崩れ、プロイセンは便器から滑り落ちるようにして床に尻をついた。 「いっ―――――てててててて……」 水とボディソープ浸しの下半身がタイルを濡らす。プロイセンはその場にへたり込んだまましばし呆然とする。長らく彼を囚らえていた便器は、片側に半円形のへこみができていた。ドイツは、トイレの修理について思考を巡らしつつ(なにしろ、トイレは人のいる場所なら必須のアイテムだ)、被救助者の無事を確かめようと、プロイセンの体をあちこち無遠慮に触った。背中やら腰やら尻やら、便器に食いつかれていた部分を重点的に。……さすがに、いちばん大事なところにはノータッチだったが。 「大丈夫か?」 「た、助かったのか……?」 プロイセンが実感のなさそうな声音で呟く。 「よかったな」 「よかったですね。一時はどうなることかと」 「ほんと、よかったわね」 三人に口々に言われ、プロイセンはようやく安堵のため息をついた。 「そ、そっか、よかった……」 はあー、と長々と息を吐いてから、彼は腕を突っ張って体を起こそうとした。しかし。 「ん……?」 「どうした?」 タイルの上でへたり込んだまま固まっている彼に、ドイツが怪訝そうに尋ねた。 プロイセンはたっぷりと沈黙を取ってから、ぼそりと一言呟いた。 「た、立てねえっ……」 足腰にまったく力が入らない。というか、下手に動いたら非常にまずい予感がする。背中から腰にかけて鈍痛を覚えているが、体勢を変換して負荷を掛けたら、途端に激痛に変わりそうだ。 プロイセンが嫌な予感に硬直していると、ドイツが横から覗き込んできた。 「腰椎を痛めたか?」 と、彼は何の予告もなく、ごく当たり前のように、プロイセンの肩と膝の裏に腕を回した。 「ちょ、いいって、自分で立つから!」 「腰は痛めると後々ひどい目に遭うぞ」 手を貸される、というよりほとんど抱き上げられそうになり、プロイセンは慌てて身じろいだ。 「大丈夫だから、ひとりで――っ!~~~~~ってぇ……!!」 しかし、体をひねった途端、案の定脊柱に沿って激痛が走り抜ける。 「無理するな。腰痛は侮れない」 「ま、まじかよ……本気で立てん……」 プロイセンはドイツの肩に寄りかかりながら、何とか息をついた。 が、そんな状態でもなけなしの自尊心は働くらしく、結局ドイツに支えられながら、痛みに耐えつつ、なんとか自力で移動した。体重のほとんどを相手に預け、バランスをすべて任せていることには知らんふりを決め込んで。 ***** ふたり揃って仲良さげに帰っていったオーストリアとハンガリー(ドイツがハンガリーにオーストリアの帰宅を確認してくれと頼んだのもあるが)と入れ替えにやって来たのは、内装修理業者だった。《不測の事態》によりドリルによってえぐられた便器を見た修理工は一瞬ぎょっとしていたが、すぐに職人の顔に戻ると、何も言わずに見積もりを立て、契約書にサインをもらうと早々と仕事に取り掛かった。どんな不可解な状況であれ、プロとしての仕事を完璧にこなすのが職人というものである。 ドイツは修理工のプロフェッショナル魂に満足と敬意を抱きながらリビングに戻った。ソファには、うつ伏せでぐったりの寝転がるプロイセンの姿がある。トイレからの救出劇のあとここに運んで以来、彼はこの場から動こうとしなかった。というより、腰痛のために身動き取るのがつらいのだろうが。彼はトイレの水及びボディソープで濡れた腰周りそのままに、力なく伏せていた。 ドイツはソファの後ろ側に立ち、プロイセンを覗き込んだ。 「いつまでそうしているんだ。寝そべるならソファよりベッドのほうがいいだろう。といっても寝室は二階か……動けないなら手を貸すが」 と、クッションに顔を埋めたまま、プロイセンがくぐもった声でぼやく。 「うるせぇ。ほっとけ。俺はいま、ものすごく惨めな気分なんだ」 「トイレにはまったからか? 珍しい事故だが、そんなに落ち込むことはないだろう。無事助かったんだから」 「なんであいつらにまで見られなきゃならないんだ……」 「救助に協力してもらっておいて何を言う」 呆れたようなドイツの台詞に、プロイセンは首だけを持ち上げてキッとにらんだ。 「おっ、俺、嫌だって……嫌だっつったのにっ、む、無理矢理押さえつけてさぁ! ひでぇじゃん、な、何が救助だよ! あんなの嫌がらせだろ!?」 しゃくり上げるように時折詰まりながら、悲痛に訴えるプロイセン。 「おまえが暴れなければ穏健に事は運んだんだが。……おい、何も本気でべそをかくことはあるまい。いい大人が」 「うううううううううう」 すっかり拗ねてしまったらしいプロイセンは、再びクッションに顔面を押し付けると、ちょっぴり泣きの入った声でうめいている。 ソファの背もたれに手をつき、ドイツは困ったように彼を見下ろしていた。
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