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テレフォンXXX」の続きみたいな話です。それほどシモネタではないですが(当サイト比)、仏独(独仏)っぽいのでご注意ください。
普は登場しませんが、話題の中心人物ではあります。





隣のお兄さんに聞いてみる



 ジュネーブでひと仕事終え帰途に着こうとフランスが軽い足取りで外へ出ようとしたとき、自動ドアの手前で後ろから軽く肩を掴まれた。不穏な気配は感じなかったので、特に警戒することなくのろりと振り返ると、少々難しい顔をしたドイツの姿があった。いや、彼はたいていいつもむっつりと小難しい表情をしているのだが、デフォルトの状態よりもやや険しく感じられた。ここ数十年のつき合いの濃さから、彼の表情をある程度細かく見分けられるようになったフランスだった。まあ、彼の身内連中には及ばないだろうが。
 首をちょいと傾げ、何の用だよ、とジェスチャーで問うフランスに、ドイツは一瞬視線を逸らしたあと、
「いま、時間あるか?」
 自分の腕時計を人差し指でとんとんと叩きながら尋ねた。フランスはさてどうしたものかと肩をすくめた。
「うん? まあこれからオフだからあるっちゃあるけど……ビジネスの話ならいまは嫌だぞ。せっかくお勤めから解放されたとこだってのに。そういうことは仕事時間中に言ってくれ」
 フランスは会議室の椅子の上で固まった腰や背の筋肉をほぐすように伸びをして見せた。ドイツはフランスが伸びをし終わるのを待ってから、実直な口調で言った。
「仕事は関係ない。至極個人的な用件だ」
「急を要するのか?」
 すると、ドイツは数秒のよどみのあと、視線を床にさまよわせはじめた。
「いや……緊急事態というわけではないのだが、個人的にこの場で話してしまいたいんだ。これ以上のひとりでもやもやするのは耐えられん……」
 なにやら思い悩んでいるらしく、ドイツは眉間に皺を寄せながら小さく口を動かした。ぶつぶつと独り言を垂れ流す彼に、フランスは首を捻った。
「なんのこっちゃ……?」
 ドイツの頭を悩ませているものの正体はさっぱり予想がつかないが、どうもお悩み相談的なことを持ちかけられそうだということは推測できた。まあ彼のことだから、どうせ些細なことでひとり煩悶しているだけのような気がするが。
 ドイツの明後日方向の暴走に巻き込まれる前に撤退するのが賢明か、と判断したフランスは、忍足でゆっくりと後退をはじめた。が、
「人目につかないところで話したい。いいか?」
 再びドイツにがっちりと肩を掴まれてしまった。彼のまったく余裕のない顔を見たフランスは、正直あんまりよくないけど、と胸中で前置きしてから、
「まあ、別にいいけど……」
 と消極的なトーンで承諾した。このまま彼を放って帰ったら、なんとなくすっきりしないのではないかと思われた。それに、放置した挙句暴走させたら厄介だ。ストッパーになってくれる身内は、いまは彼のそばにいないことだし。
 フランスの了承を得たドイツは、彼の左の二の腕を引っ張ると、つかつかと廊下を進んでいった。そうしてたどり着いた先は、フロアの中でも奥まった一角に位置する男子トイレ。
 おいおい、こんなとこに連れ込んで何する気だよ。……お兄さんちょっと期待しちゃうじゃん。
 条件反射的に浮かれつつ、フランスは手入れの行き届いたレストルームの内部を見渡した。まあ、本当の意味ではこの朴念仁なドイツに期待してなどいないのだが。
 フランスが入り口から一歩入ったところで棒立ちになっている間に、ドイツはすべての個室のドアをひと通り、開けては閉めた。中に人がいないか確かめていたようだ。そうしてから、彼はもう一度入り口に戻ると、廊下に首を突き出して左右を何度も見回した。人気がないのを繰り返し繰り返し、なかば強迫観念のように念入りに確認する。
 よほど人を遠ざけておきたいような話題なのか。
 ドイツの口から何が飛び出すのか頭の中で漠然と候補を上げつつ、フランスはお決まりの台詞で会話を切り出した。
「で、話って?」
 ドイツは出入り口を背後に立つと、顔を横に向けたまま、眼球だけを動かしてフランスの姿をとらえた。彼は何度かぱくぱくとためらうように口を動かしたあと、
「フランス……あ、あの、その……恥を忍んで頼みがあるのだが」
 緊張と羞恥のにじむトーンでそう言った。こりゃ普通の相談事じゃなさそうだ、とあたりをつけつつ、フランスは聞き返した。
「頼み?」
「ちょっと、教えてほしいことがあってな」
「俺に?」
「ああ。おまえが最適の人物だと考えた」
 こくりとうなずくドイツ。フランスは無精髭の生えた顎に手をやると、小さく首を傾げた。
「俺が適任……?」
 ファッションにグルメ、得意分野ならいくつもあるが、ドイツがこんな態度で臨んでくるものといったら――
 フランスはにやりと口角をつり上げながら、軽薄な調子で尋ねた。
「なんだよ、野郎同士の正しいやり方についてご教授願いたいってか? それなら俺の書いた本に極意のすべてが書いてあるぞ。こないだめでたく十回目の改訂版出たから、今度売ってやるよ。おまえフランス語読めるからうちで出ているやつそのまま渡しても大丈夫だよな?」
 と、フランスはそこで一旦言葉を切ると、おもむろに一歩、二歩とドイツに近づいた。少し猫背になり、下から覗き込むようにしてずいっと顔を接近させ、滑らかな動作で相手の下顎に軽く指を添えた。そして、唐突に――それはもう、何らかの特殊訓練でも受けているのではないかというくらいの変わり身っぷりで――太陽の昇っている時間帯にふさわしくないしっとりとした雰囲気を醸しながらささやく。
「……それとも実地で知りたいのか?」
 さすがのドイツも何らかの異様さは感じ取ったらしく、あからさまにたじろぎながら視線を虚空にさまよわせた。
「いや、そういう用事ではなく……あ、いや、まったく関係ないとも言いがたいのだが。え、ええと、つまり、その……」
 フランスの手から逃れるように首を左右に動かしたあと、ドイツは完全にうつむいてしまった。が、額や耳が赤く上気しているのは隠しようがなかった。言葉の先を続けられないまま、彼は両手を腹の辺りで組み、もじもじと所在なさげに指を動かしていた。
 まるで引っ込み思案の小学生の女の子のような彼の仕種に、フランスはこっそり噴出しつつ、落ち着かせるようにぽんぽんと肩を叩いてやった。
「おまえのその煮え切らない態度が無性にかわいく感じられるあたり、俺も最近やばいな。はあ……ちょいと仲良くなりすぎちゃったかねえ」
 やや大きめの独り言をこぼしつつため息をつくフランス。が、ドイツはこれからどう話を展開すべきか考えることに没頭しているようで、フランスの言葉など虫の鳴き声ほどにも耳に入っていない様子だった。
 床のタイルを凝視したまま動かなくなったドイツを前に、こりゃ埒が明かないと判断したフランスは、単刀直入に聞いた。
「で? 結局何の用なんだよ? 恥ずかしがってるとこ見ると、大方シモの話なんだろうが」
「うっ……ま、まあ、そういうことだ」
 フランスと目を合わせるのが気まずいのか、ドイツは逃げるように露骨に視線を斜め下に泳がせた。フランスはますます口元をにやつかせた。
「へえ? そりゃ確かに俺の出番だな。それであんちゃん、どういったご用件で?」
 フランスは上半身を屈めると、うつむいたドイツの視界に無理矢理顔を割り込ませた。早く話せよ、と無言のプレッシャーを掛けるフランスだったが、ドイツはいまだ躊躇しているのか、口の中で舌をまごつかせるばかりだった。
 膠着状態に陥ること一分。いい加減面倒くさくなってきたフランスは、呆れたように肩をすくめて首を左右に振った。
「用があるっつった本人にだんまり決め込まれるとどうにもなんねえんだけど。話せることがないなら俺は帰るぜ。帰りにチーズ買ってくかね」
 と言ってすたすたと廊下へ出て行こうとしたそのとき。
「ま、待て、フランス!」
 ドイツが慌てた声で呼び止めてきた。そして、フランスが振り返るのと同時に、両の拳を胸の辺りで握り締めたドイツが、これまで迷いに迷ってきた《用件》を力いっぱい、なかば自棄のような調子で叫んできた。
「テッ、テテテテテッ……テレフォンセックスとは! ど、どどどど、どうやるものなんだ!?」
 勢いよく、けれどもどもりにどもりながら、ようやくのことで告げるドイツ。
 決死のサバイバル訓練にこれから臨もうとするような気合と真剣さに満ちたまなざしと、風呂上がりでもないのにやけに紅潮した頬や額がなんともミスマッチだった。
 彼がいったい何を言っているのか瞬時には飲み込めず、フランスはなんのこっちゃと不審そうに眉をしかめた。
「……はい?」
「恥を忍んで頼む、教えてくれ!」
 ドイツの手がフランスの両肩をがっちりと押さえるように掴む。彼の必死の形相と相まって、鬼気迫る威圧感が醸し出される。多分イタリア兄弟あたりだったら二メートル先でも涙目だろう。
 なんかおまえ怖いぞ――と思いつつ、フランスは無精髭の並ぶ顎を呑気に指先で掻いた。


一歩間違えば勘違い

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