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露普です。
夏の短い夜」から続いている感じです。





哀しき街並



 ひっきりなしに体を揺らしていた細かい振動がやんだ。エンジンが停止したのを理解して、プロイセンは暗いコンテナの中でむくりと起き上がった。寝そべっていたのは、トラックの荷台に積まれたコンテナの貨物の上。港に隣接する工場から移動するため、行き先を同じくするトラックに乗り込んだのだった。
 別に隠れなければならない道理はないのだが、すでに同胞のいなくなった地でこの容姿をさらすのが利口だとも思えない。もっとも、この服装であればさしたる問題は起きないだろうが。
 プロイセンは乗っていた木製の箱の上で胡坐をかくと、真新しい制服の襟元を正した。コンテナの内側の壁に手を突き立ち上がる。しばらく寝転がっていたためか、低血圧で足元がふらつく。平衡感覚の狂いが軽いめまいと頭重を引き起こしたが、しばらく目を瞑って耐える。
 と、トラックを止めた運転手がコンテナの扉を開放し、降りるように促してきた。プロイセンはまだ硬くて動きづらい軍靴を鳴らしながらコンテナから降り、運転手をしていた青年にスパシーバと伝えた。同乗を許可してくれたその青年は、しかし不審そうにプロイセンを眺める。若者は何か聞きたそうな様子だったが、詮索はせずに、事務棟はあちらです、と言って北のほうを指差した。
 プロイセンは軽く手を上げてもう一度礼を言うと、速くも遅くもない速度で、示された方向へ歩いていった。倉庫の林立するエリアを抜けて北上し、目的の建物を目指す。敷地内に入ると、同じ制服を着たロシア人の姿がまばらにある。プロイセンは注目を避けるようにうつむいて歩を進めた。
 事務所の受付は、収容所のそれに似ていなくもなかった。召喚状を渡したものの、事務担当者はやはり胡散臭そうに彼を見てきた。こんなところで時間を取るなよ、とプロイセンは内心苛つく。苛立ちが、床をつま先で細かく蹴るという動作に現れはじめた頃。
「はい」
 気安い挨拶の声とともに、ぽんと肩に手を置かれる。振り返れば、斜め後ろにはロシアの長身。彼自らお出迎えとは。
「うわ……」
 プロイセンは嫌そうに眉をしかめた。ロシアはそれを無視して事務のカウンターに身を乗り出し、職員の男に向けて早口のロシア語でなにやら話しかけた。三十秒と経たないうちに、プロイセンはあっさりと棟の中に入るのを許された。ロシアが口利きをしてくれたようだが、それができるなら最初から話を通しておけばいいじゃねえか、と思わなくもない。
 ロシアに先導されるかたちで事務室のひとつに入れられる。書類が保管されているらしい棚がいくつもある。こんなところに自分を通していいのだろうか。キリル文字しかないのだろうが、プロイセンとて読めないわけではない。特に最近は書き言葉にも慣れてきた。
 そんなことを考えていると、ロシアが手の平を上に向けた右腕を差し出してきた。
「書類、持ってきてくれた?」
「ああ、ほらよ」
 ロシアはプロイセンから糊で綴じられた封筒を受け取ると、ペーパーナイフで開封し、中の書類を確認した。
「さすが、仕事が速いね」
「あんたらが効率悪いんだろ」
「うん。普通に処理させると何日かかるかわからないからね、きみに直接持ってきてもらったほうが速いと思って」
「こんなところで無駄に人件割くなよ」
「貴重な意見だと思うけど、残念ながら上には伝えられないんだよね」
 頬に手を当てて残念そうに息をつくロシアに、プロイセンは自分の二の腕を抱くようにしてぶるりと背筋を震わせた。
「恐ろしいことはやめてくれ」
 言わなきゃよかった、と自分の口を恨みながら、彼は窓のほうに視線を逸らした。窓には鍵がなく、隙間は膠のようなもので埋められている。書類が風で飛ばされないための措置のようだが、そのくせ棚の鍵はお粗末そうなつくりで、彼がちょっと本気を出して針金を差し込めば、たちまち開けられそうだった。厳重なのか緩いのかよくわからない空間だ。
 余計なことはすまいと思いつつ、ついきょろきょろと室内を観察してしまう。落ち着きを欠くプロイセンに、ロシアは呆れたように小さく笑った。それに気づいたプロイセンは、決まりが悪そうに相手に向き直った。ロシアは彼の行動には特に何も言わず、代わりに彼の頭から足へと視線を下ろしていき、
「意外に似合ってるじゃない」
 と感想を述べた。すでにいっぺん見てるだろうが、とプロイセンは毒づきつつ、肩をすくめて答えた。
「それはどうも」
「でも、前の服のがかっこよかったかな」
「……どうも」
「あ、けど、この言い方は厳密さを欠くかもしれないね。きみはまだ以前の制服のほうが似合うんだ。きみはまだあちらの側にいるからさ」
 薄い含み笑いとともにロシアは言う。プロイセンは後ろで手を組んだまま、うかがうように視線を持ち上げた。
「……? ここにいるだろうが」
「物理的な位置を言ってるわけじゃないんだけどな。わかっているくせに」
「ロシア語の深みは俺にはわからん」
 プロイセンは曖昧にはぐらかした。この場所での主導権は彼にはない。居心地が悪くて、彼は制服の襟の後ろに手を触れさせた。と、ロシアがその手を掴んでくる。プロイセンは相手の行動を解釈しかねて、ただ眉をしかめるだけだった。
「いずれ」
 ロシアはくっと彼の手首を引き寄せると、耳の高さに持ち上げたまま、顔を近づけた。
「なに……」
「いずれなじむようになるよ、この制服だって、きみに」
 空いているほうの手で少し曲がったタイを直してやりながら、ロシアが続ける。
「そして、きみもこの服になじむようになる」
 彼はプロイセンの手を持ったまま窓辺に移動した。開かない窓。しかしガラス越しに外の風景を眺めることはできる。
「この街のように、ね」
 ロシアはプロイセンの背を軽く、しかし抗い難い力で押して、窓の前に立たせた。そうして、高みから見下ろす街の遠景を見せる。
 悪趣味なやつ。
 プロイセンは胸中で吐き捨てた。ガラスにうっすらと映じる自分の鏡像と、窓のかなたにある街並が重なる。
 醜悪だ。
 見られたくない、見たくない自分の姿がそこにあるようで、彼は視界を閉ざした。


胸の傷の癒えるとき

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